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2016年7月17日


東日本大震災から5年。沿岸部の復興見学。

東日本大震災から5年。 被災直後に訪れたときは復興5年計画ということで、「5年!なんと先の長い話だ」と茫然としたことが思い出されますが、気が付けば5年。 そして、この度、機会があり、地元の方のアテンドで名取市・岩沼市の沿岸部の被災地を見学させていただきました。
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名取市・岩沼市にまたがる沿岸部の松林は、まばらなまま

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それぞれの被災の記憶はさまざまな形で語り継がれています

仙台駅は改装が進み、周辺の道路も活気があり、こんなに復興しているのか!と一瞬喜ばしく思えたのですが・・・それは一部のことでした。 名取市閖上地区。仙台の南側に位置する名取市の沿岸地区です。そこでは、住宅・家族・知人を失った人々の心の傷、癒えない震災の爪痕が語り継がれていました。(閖上の記憶 津波復興祈念資料館)。そしてそれを受け入れたうえで、こどもたちに希望を持たせようとする地域の人々の熱意に触れました。港は再稼働を始めていましたが、周辺は未だ見渡すかぎり何もない平地。広大な区画を盛土整備中。この整備はまだまだ続くそうです。そうしているうちに、この地区に戻りたいという元住民の意識は低下しており、生活地区としての再建はまだまだ先になるとのことでした。 その一方、今回の見学で一番驚き、また、復興経験から学び得たこと、それは、沿岸で隣接した2地域で復興の進み具合が大きく違っていたことです。 名取市の南側に隣接した岩沼市では津波被災にあった沿岸の6地区(500戸弱)の防災集団移転を完了しており、丘側に新しく開発された玉浦西地区では、エココンパクトシティとして新しい生活が始まっていました。田んぼを切り開いたと思われますが、防災を配慮した広い道路で整備された地区に、災害公営住宅(戸建て、メゾネット)が建設されていました。9Kw~12Kwもあろうかと思う大型の太陽光発電パネルが屋根いっぱいに搭載されていました。 2011年3月に被災、2014年4月にこのエココンパクトシティでの居住を開始したというのですから、たった3年です!そして、沿岸の6区地区の津波被害を忘れないためのメモリアルパーク、千年希望の丘公園の造成が進んでいました。東日本大震災のとき松島の被害が小さかったことを参考に、津波の減衰効果のための島を模倣した人工丘、そして、それらを結ぶ回廊に植樹を行うことで緑の堤防になる構想です。
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岩沼市千年希望の丘公園(メモリアルパーク)

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岩沼市玉浦西地区のエココンパクトシティ。災害公営住宅には大きな太陽光パネル

名取市は人口8万人に対して、岩沼市は4.5万人。決して大きいとは言えない規模の行政で、このような先導的なプロジェクトがいち早く立ち上がり、そして見事に成し遂げられたことに深く感銘を受けました。 自然災害は避けられませんが、減災への備え、そして被災からの復興には、多くの知恵と熱意が必要なのだと感じました。 この名取市閖上地区、岩沼市玉浦西地区は、今年から民営化された仙台空港を基点にするなら1時間半ほどで回れます。 機会があれば、ぜひ、多くの方に訪れていただきたいと思いました。 インテグラルでは、ホームズ君を通して、地震に強い家づくり、地震に強い家へのリフォームをお手伝いしてまいります。 ※参考 名取市 閖上の記憶 津波復興祈念資料館 岩沼市 集団防災移転プロジェクト 岩沼市 千年希望の丘